お金に愛されるマインドとは? ~世界のトヨタ・豊田佐吉 語録&静岡県湖西市のパワー

昨日のライブは、湖西市から中継しました。

湖西市は、静岡県の最西の町。世界のトヨタ・豊田佐吉の出身地です。
平成17年に静岡県西部の市町村がほぼ全て浜松市に合併されても
湖西市だけは、合併されず・・・。
そのパワーの秘密は、県境のゼロ磁場に違いない!!

ゼロ磁場とは、パワースポット。
相反する力がぶつかる境界線上で生まれる真空のミラクル。
歩けない人が歩けるようになったり、目が見えない人が見えるようになったり・・・
ゼロ磁場では、そんな不思議が続出します。

そしてあなたの両手でゼロ磁場ワークをすると、あなたがパワスポになります。



そこで、この日のドライブライブでは
豊田佐吉記念館や、いつもパワーを感じる弁天島公園に
行こうとしたのですが、たどり着けず
道の駅「潮見坂」にて、太平洋を見ながら足湯に入ろうとしたら、故障中。
結局、海岸まで歩き、砂浜散歩をしました。

砂浜には、3センチくらいの穴がいっぱいあいていて
「海の生き物かな?」
「亀?カニ?貝?」など、おしゃべりしながら散歩していたら

雨が降ってきたので走って🚙に戻ろうとする時
映画「炎のランナー」みたいだな・・・と思っていたら

「昭和のアイドルみたい」とのコメントが( ;∀;)

道の駅で少しくつろいだ後、豊田佐吉の人生語録をご紹介しました。


豊田佐吉 語録
◆ 「いくら儲けたいの、いくら儲けねばならんのと、そんな横着な考えでは人間生きてゆけるものではない」
(報徳社に入り二宮尊徳の教えを学んだ伊吉(父親)は、口癖のように息子たちにそう言い聞かせた)

◆ 「大丈夫だ。世の中の多くの人の為に、またお国の為にと言う考えで一生懸命に働いてゆけば、
食う物も着る物も自然とついて来る。御膳様がいつもそうおっしゃっている」
(佐吉は、東京で機屋を開業したが失敗して帰郷した。おまけに脚気病に罹っていた。落ち込む佐吉に対して、母ゑいはこう言って励ました)

◆ 「このオカネは貸してやるだけだ。ええかい、男は四の五のいらぬことを考える必要はない。
志を立てた以上、迷わず一本の太い仕事をすればよい」
(佐吉が武平町工場を建てる際に、伊吉は田畑を売って作ったオカネをポンと差し出して言った)

◆「一日働かざれば、一日食わず」
( 栄生の工場は、大正元年に完成した。これが独立自営の豊田自動織布工場の始まりだった。佐吉は47歳、浅子は37歳、喜一郎は20歳、愛子は15歳。生涯を通じての正念場で、発明家として、また事業家として生死の分かれ目であった)

◆ 「発明発見とか創意工夫の世界は、あくまでも広大無辺で
今まで人間の踏み込んだ地域は九牛の一毛(多くの牛の中の1本の毛)にも達していません。
その大きな未開の秘庫は『早く扉を開けてくれ』と、中からいつもわれわれに呼びかけています。
しかもその扉を開く鍵は、いつも、どこにも、誰の足下にも転がっています」
( 大正2年、陸軍大演習が名古屋で行われ陛下が行幸された。佐吉は名古屋離宮(名古屋城)において
御前に御召し出された。本丸御殿上洛殿で拝謁を仰いだ際に、陛下から「そのように素晴らしい発明を次々に成し遂げられたご苦労はいかばかりか?」と問われた際にこう答えた)

◆ 「障子を開けてみよ、外は広いぞ」
(大正8年、佐吉は上海に紡織工場を建てようとしたが、社内は大反対した。その際に障子をパシッと開けて言い放った)

◆「仕事は人が探してくれるものではなく、自分で身付けるべきものだ。職は人が作ってくれるものではなく、
自分自身でこしらえるべきものだ。それがその人にとっての、本当の仕事となり、職業となる。
とにかくその心掛けさえあれば、仕事とか職業とかは無限にあるといっていい。いつの時代でも、新しいことは山ほどある」
(喜一郎は東大を卒業して帰郷した。「ところで、お前、これからどうするだかね?」と訊かれると、佐吉に「上海紡績工場原動所設計書」と題した書類を渡した。驚いた佐吉は満足気に眺めこう言った。)

◆ 「わしは他人よりよけいに創造的知能に恵まれているわけではない。すべて努力の結晶だ。世間は、その努力を買ってくれないで『天才だ』と言って片づけてしまう。私には遺憾千万」
( 大正13年、G型自動織機の原型が完成し、試験運転を開始した。問題点があると改良に改良を重ねた。完成した時、
喜一郎は(どこから、こんなふうに発想が次々と浮かんでくるのだろ?)と改めて佐吉の偉さを思った。
そう尋ねてみると、佐吉は何を訊くのか?という態度でこう答えた。

◆ 「わしの今日あるのは、天の心というものだ。それなら、こちらも社会へ奉仕せにゃいかん道理だ。
誠実というその字を見ろ。言うことを成せという言葉なんだよ」
( 佐吉は、昭和5年にめっきり衰弱し、枕元に来た喜一郎にこう言った。)

出典 「小説やらまいか 豊田佐吉傳」北路透

「やらまいか」は、静岡県西部のなまり言葉です(遠州弁)
「とにかくやろう」「やってやろうじゃないか」という心意気は、
広大な静岡県の海岸線と大地にはぐくまれたお国気質です。


静岡県は、人口は愛知県の半分以下ですが、面積は2倍以上の広さを誇り
この雄大な海と山が、のびのびした自由な人柄を育む。
しかも優しい人が多く、県のコトバは、「富国有徳」:
富士山の国。人が良くて温厚だけど、自由な発想で偉業快挙を成し遂げる、隠れガッツあふれる県民性だな。と感じます。
愛知県出身の私から見ると、静岡県の河も海も、懐が深く、壮大で胸がはずみます。



えじさん語録
ドライブライブ後半のえじさんは、熱く、冴えていました。

・最初は、3人いればいい。

 豊田佐吉のように、固い絆と信頼で、心から応援してくれる両親や兄弟のため
 見よう見まねで織機を作ったのがトヨタのはじまりだった。

・リピーターの体験談が一番の財産になる。
・いい商品がなく、マーケティングで一時的に売れても、消えていく事業家が多い。

・ニーズに合った商品をお手頃価格で提供していると、知らず知らずのうちに豊かな富を築いている。
・魂の商品がない事業家は、軸がぶれぶれだ。ニーズと軸の兼ね合いが大事。

・失敗はない。情熱と経験値が世界のトヨタのような会社を作る。



ドライブライブでは
帰りのドライブ中、えじさん節を聴くのがいつも楽しみです。

えじさんは、物知りで、前半のストーリーをまとめてくれるので
話が面白いのと、不思議な包容力があり
だから1年以上、隔週でライブをしているのですね。


毎月、第1・第3木曜日の正午から、2時間ライブをしています。

もともとは、土曜日の21時からのライブだったので
世界ふしぎ議発見をマネて「ふしぎ発見ライブ」でした。

そして火曜日の20時から22時までやっていた時は
「火曜サスペンスライブ」と呼ばれていました。

そして、現在の正午からのライブは、昼間のほうがドライブ風景を楽しめるので
このお昼休みライブに定着しそうです。

木曜・お昼ライブを、これからもよろしくお願いします。

▼ライブの録画は、こちらから見ることができます。

https://www.facebook.com/100063714182111/videos/421281162646931
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この記事を書いた人

占い師歴19年で23,586人のお悩みに寄り添ってきました。
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